その1: たった一度の二人旅

 私の生涯でたった一度だけ、娘絵美子と二人きりで一泊旅行をしたことがある。

 確か小学校5年生の夏休みだった。私は未だ現役バリバリの企業戦士で、なかなか休みが取れない頃だったが、夏休みぐらい家族でどこかへ行かなければならないとは思っていた。

 その年は、妻の休みと日程が合わず、二人だけの夏休みとなった。あまりお金もないし、どうしたものかと思案した。娘の宿題の一助にもなって、二人の思い出にもなって、あまり人のやらないようなことはないかと考えた。

 ある日こんなことを提案してみた。

 嫌がれば娘の行きたいところへ行けば良いと気楽に考えていた。「新幹線を使わないで大阪まで行ってみないか。しかも、普通運賃だけで特急なんか使わないでだよ」。私は反応をうかがった。娘は、「え〜」と言った後しばらく考えて、「いいよ」と言った。
 
 これで決まった。行き方については、私がイベントの実施などで全国を旅していた関係で、交通手段にはアイデアがあった。

 8月のある日、暑い日だったが良く晴れた気持の良い日だった記憶がある。
 結果的には、生涯一度きりの父と娘二人旅の始まりである。

 当時田園調布に住んでいた私たちは、東急線、JRを使ってまず新宿まで出た。新宿からは、小田急の急行で小田原へと向かった。一泊旅行なので、そこそこの荷物をつめたリュックを背負った娘と、結構ワクワクして小田急沿線の景色を眺め、とりとめのない話などして過ごした。

 私も初めて娘と二人きりになるのが、嬉しくもあり、どう対処してよいか戸惑いもあって、少し緊張していたように思う。

 意外に早く、簡単に小田原に着いた。ここからは、JRを使うしかない。確か、小田原から熱海経由で静岡まで快速電車があったのでそれを利用した。もう昼近くなっていた。「弁当は小田原の東海軒のがおいしいんだよ。お父さんの知人がやっているんだ」などといって、駅弁とお茶を買って乗り込んだ。

 豊橋からは、名鉄電車で名古屋へ行こうと思っていたので、小田原〜豊橋間が一番長い区間となった。

 おしゃべりをしたり、車窓を眺めたり、のんびりとした一昔前の汽車の旅だった。娘は、リュックから自分の好きな本を出して読み始めた。お菓子も食べていたかもしれない。あまり車窓を見て騒ぐほうではなく、自由に静かに自分の好きなことをするのが好きなようだった。それでいて退屈するのではなく、そうゆう雰囲気に浸っているだけで満足する性格だった。私は、車窓を眺めながら、時々娘の横顔を見たりしていた。色白で、しみひとつない肌は母親似なのだろうか。どこへ出しても恥ずかしくない美しい顔立ちだった。この娘の将来はどうなるのかなとか、いつか嫁に行った時父親の淋しさはどんなだろうなとか、相手の男性と俺はうまくやっていけるのだろうか、等ととりとめのないことをぼんやり考えていたように思う。

 勿論、何年後かの悲しい別れなど予測することさえ出来なかった。

 長い普通列車の旅の末、やっと豊橋に着いた。ここからは名鉄電車に乗る。中学、高校と私は、名古屋に居たので、この辺は良く知っている所だ。豊橋名物のちくわを頬張りながら、気分も新たに一路名古屋へと向かった。さすがに名古屋へ着く頃は、夕方になっていた。懐かしい焼け付くような名古屋の夏の西日を浴びながら、今度は、近鉄電車の乗り場へと急いだ。もう特急電車に乗ろうかとも思ったが、折角ここまで来たのだからと、二人で納得して近鉄名古屋駅を出発した。途中乗り継ぎながら、夜8時頃ようやく近鉄難波駅に到着した。
 
 朝9時に出発してから11時間の行程だった。列車に座ってばかりいたせいか,あまり疲れは感じなかったが、とても小さなことだけど、何かをやり遂げた充実感みたいなものがあったのを覚えている。娘の顔にも、同じような気持があったのか安堵感が漂っていた。

 「こんな旅も楽しかったね」と話しながら宿舎の新阪急ホテルにチェックインした。お腹は、途中で結構食べ続けたので空いていなかったが、梅田界隈から道頓堀の方へ連れ立って出た。二人でラーメンを食べた。名前は忘れたが有名な店に入りチャーシュー麺を頼んだ。私も冷たい生ビールでほっと肩の荷を降ろした。しかし、出てきたチャーシュー麺には驚かされた。中の麺が見えないほどチャーシューに覆われていたのだ。「さすがに大阪だね」と二人で笑った。でもとても美味かった。

 ホテルに帰り、風呂に入り寝ることになった。小学5年生とはいえ、娘と二人きりで、ベッドを並べて寝るということは、赤ん坊時代以来のことである。お互い少し緊張したが、「お休み」と言ったあと一日の疲れが出たのか、朝までぐっすり寝てしまった。私は、いびきをかくので、さぞ迷惑なことだったろうと思ったが、翌朝そんなことは一言も言われなかった。

 本当に喜んでくれたのだろうかと不安だったが、朝食を食べながら、明るい笑顔の娘を見て、何か心暖かいものを感じ、「来て良かった」と心から思った。
 その日は、一日大阪城などをブラブラと見物して、帰りは新幹線のありがたさを感じながら帰京した。

 今、写真を見ながら当時のことを懐かしく鮮明に思い出す。その娘がもう居ないという現実はとても信じられるものではない。

 もっと話をしたり、美味しいものを食べればよかった。もっとこういうチャンスを作ればよかったと、とても残念で悔やまれる。

 もっといろんな所へ行きたかったなあ!絵美ちゃん!
平成18年6月


 かけがえのない娘を亡くした私たちは、ある日、娘の思い出や、遺品、部屋の内部を残すひとつの方法として、ホームページがあることに気がつきました。いつまでも忘れないために写真で残し、又、ひょっとしてそのホームページを見る人があったら共に語り、あるいは、おこがましいことながら同じ様な経験をされた方の一助になれたらと考えたのです。

 60の手習いで、パソコン教室に通い、つたない文章を書いて、ようやく公開の運びとなりました。
 これからは、ゆっくりと少しずつ充実させ、さらに関連した事柄やエピソードを加えていきたいと思います。